Australia flag中年夫婦の35日間オーストラリア旅行記Aboginal flag
Aborigine

Aboriginal Man
わずか1ヶ月余りで駆け抜けた我々の旅では、ゆっくりとアボリジニの人々に接し、その文化や歴史、生活に触れる機会はほとんどなかった。
しかし、訪れた街の広場や公園、バスのミール・ストップで止まった集落で出会った彼らの姿からは、『貧困』の一語しか見えてこない。一般のアボリジニの人々と、白人、それに、ほんのごく一部の、博物館やアボリジナル・アーツの土産品屋で働く「定職を持った」アボリジニの人達との間には、圧倒的な格差の存在が感じられた。
「多文化主義」を謳い、各地で訪れた博物館の展示やパンフレットでアボリジニの歴史や文化を紹介して、彼らとの『共生』を強調するオーストラリア政府の姿勢に、何か空々しさを感じたのは我々だけではなかったのではないだろうか。

200年間の受難の歴史

アボリジニ(Aborigine)とは、オーストラリアの先住民。本来、ラテン語の 'ab origine' (最初からの)から来た「現住民」という意味の普通名詞であるが、 オーストラリアでは彼らを指す固有名詞として使われている。
イギリス人開拓者が到来する1788年までの数万年間、オーストラリアはアボリジニの大地だった。彼らは数百の部族に分かれ、あの赤茶けた大地を移動しながら、狩猟と採集による静かな生活を営んでいた。
しかし、キャプテン・クックが、オーストラリアを 'Terra Nullius' (未開拓の無人大地)」と位置付けてイギリスの植民地として以降、彼らの生活は一変する。「招かれざる訪問者」である白人によって、野蛮人として追いやられ、土地を奪われ、虐殺され、多数の部族が絶滅して、数十万人いた人口は5万人にまで減ったといわれている。
文化的に見ても、狩猟・採集民族である彼らの価値観や生活習慣は後進的と見なされ、絵や工芸品を観光向けに利用される以外は、社会的にも排除されていった。
北アメリカにおけるアメリカ・インディアン、北海道におけるアイヌと同様、征服者と被征服者の関係が、ここでも繰り返されたのである。
彼らにとっては、まさに受難の200年間だったといえよう。

なお残る差別と貧困

政府がようやく保護政策に乗り出したのは1920年。 白人の影響を排除した土地に保護区 Aboriginal Land を設ける。
アボリジニの人々に市民権が認められたのは、わずか30年余り前の1967年。今では法律上の差別はなくなった、ということになっている。人口も30万人余りにまで回復した。
1993年には先住権法が制定され、植民開始以前からアボリジニが住んでいた土地の所有権を認めた。
しかし、早くも反動的な動きが見られる。昨年7月に、先住権改正法が成立した。1993年の先住法が生産活動に支障をきたしかねないとして、農業や鉱山業界などの関係者が、アボリジニの土地使用権に歯止めをかけるよう求めていたものが一部認められた。アボリジニの先住帰属権を廃止する代わりに、アボリジニの団体に補償金を支払うというものである。
この問題には国連までもが動きを見せた。国連の人種差別廃止委員会は、オーストラリアの人種差別的な土地政策を批判し、アボリジニへのコンサルティングなしで改正案を決定したことに、遺憾の意を表明した。つまり、国連はオーストラリアが国際人種法に違反しているという結論を下したのである。

このような法律上・制度上の動きの中で、現実の差別はなお厳然として存在し、失業率は高く、白人との所得格差は大きく、平均寿命も白人より低い。
現在、アボリジニの人々は、内陸部の先祖伝来の土地に住み、白人の保護から脱却して自分達だけの世界を築き上げようとする人達と、都市部またはその近郊に住み白人たちと共存していこうとする人達とに二分されるが、今でも独特の風習や文化を持ちつづける彼らは、都市生活の中で文明社会に融合しようとして身を滅ぼす人達も少なくない。
元来飲酒の習慣がなかったアボリジニだが、今では白人による差別や挫折感からか、アルコール依存症になっている人達も多く、道端や公園に座りこんで、希望なく酒を飲み続けている姿も見受けられる。

真の多民族・多文化国家への期待

かつては世界とコミュニケートする手段を持たず、ただ土地を奪われ、屈してきたアボリジニの人々だったが、今では英語という言語によって、歴史の不当性を主張することができるようになった。それだけに国際社会の向ける目は厳しい。
取り上げられた文化、天然資源、土地、そして様々な権利……。時計の針を逆転させることはできないが、過去の贖罪をし、過ちを問うことはできる。
1972年、アボリジニの人々が首都キャンベラの国会議事堂の前に小さな小屋を立て、「仮設大使館」と名づけて立ち上がったことは、そうした時代背景の先駆けであった。

白豪主義から脱却し「多文化主義」を掲げるオーストラリアが、先住民族のアボリジニとの真の和解を成し遂げ、真の国際社会の一員となることを心から期待するものである。